秋が夏をつれてった

生命をいただいている限り、他者に迷惑をかけないということは不可能だけど、他者のせいにするということは最大の甘えであり、その対象との絶交を意味することでもある。愛に対する反発でもある。
なのにそれさえも赦されているという、愛にはすべてが内包されているということ。
それならばもう感謝しか残っていないのに、感謝しないという選択肢まで赦されている。感謝すら愛に含まれているものだから。

どうしよう、やっぱり愛ってすごすぎる。
ひとまず地球に抱かれて泣いてみるか。
今日の夕方、夏と秋がバトンタッチしたみたいに急に空気が変わったね。
切なくってぼんやりしちゃうね。

卒業

今の段階でひととおり、小さな願いはその都度叶えてきて、やってみたかったことや行きたい場所など、欲しいものは多少強引にでも手に入れてきたように思います。
とにかく時間だけには縛られていなかったことが、一番の大きな理由かもしれません。お金はいつもなかったのに、なぜここまでやりたい放題できたのか、どうやって生きてこれたのか自分でも不思議に思うほど。感謝しきれていない甘い部分でもあるのでしょうか。

研究したい期

tarot
なんだかグゥーッとインプットしたい衝動が、本格的に押さえられなくなりました。
ここ2年間は、アウトプットをたくさんしたかと思います。
今は、外に出てかき集めてきたエッセンスを、内に籠って凝縮させたい。
ハーブティのクオリティもさらに深くしていきたいし、スピリチュアルなツールとしていくために、もう少し自分と向き合う時間が必要。
そんなふうに自負している今日この頃でございます。
ほんと、社会って、実践しながらの終わらない勉強を続けていく、スーパーサバイバルゲームセンターですよね。
自由を手に入れたなら、ワクワクしながら生き残らないとね。
アウトプットの時期ってほんとに本が読めないの。
忙しくしてるときは、特に小説の世界に入っていけない。
まずは気になっていた本、最近手に入れた本、じっくり読むことにするよ。
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花は永遠に今咲いている

家に帰って手を洗っていたら、ジャスミンが香った。
数年前に玄関の反対側に地植えして、あまり目にしない場所に放っておいた。
そのせいで、年々ワイルドになってきている。
そんなジャスミンが、今夜とうとう、『ミニキテヨ!』という言葉をはっきり投げかけてきた。
強い香りに、シンプルな思いを乗せてきた。
濡れた手をタオルで拭いて靴下を脱ぎ、サンダルを履いて外に出る。
隣に植わっているオリーブの木と絡まり合いながら緑はせり出し、白い花をたくさんつけていた。

恋とか愛とか

わたしが今よりもっと幼かった頃、恋をしていた仲よしの男の子がいた。彼には彼女がいた。それでも一緒にいたいときはふたりでいた。それをまわりも(おそらく彼女も)知っていた。
今は別の彼女がいる。先日ふたりに会ったとき、帰り際それぞれとハグをした。彼女のからだは猫みたいにちいさくてやわらかくて、彼はきっと永遠に男の子みたいだった。
そんなことをぼんやり思い出していたら、いろんな奇跡に圧倒されて感動して、正確には胸が光ってどうしようもなくて、とつぜん泣けた。
性的な意味やロマンティックなそれではなく、もちろん異性も同性も関係なく意味すらなく、愛している人は、純粋にただ大すきで、愛している。
愛に付随するすべてはほんとうにちっぽけなもの。本物の愛には、なにもないのかもね。でも毎日まいにち、いろんな形で愛してるね。

What a most important to you.

自分にとってもっとも大切なことは何か。もういちど確かめるときがきた。
そこには憤りや悲しさなどの感情が、まだもしかしたら混じっていたのかもしれない。かんたんなことなのに、知ってることなのに、スパッと腑に落ちなかった。
純粋な意図。
愛に基づいた言動。
やっぱり愛なのでした。
以上。

ONENESS

“常識”や”正解”は、”平均”と同じく、無い。
相手と自分はすべてが違うのだとふまえて、いつもゼロでいないとね、人間どうしも。

欠けることなくすべてが違うから、ひとつなんだよね。
バラバラだから調和してるんだよね、いつでも。
そういうことだよね、ワンネスって。

人と人

宮城に住んでいる友達が東京にきていた。
お互いのマイペースを尊重しているのでこまかな約束はせず、タイミングで会えるときは会う。
昨日は必然的にばったり会った、という表現がぴったりの会い方だった。
お互いの用事が、ぴったりと同じ時間と場所で合ったのだ。
彼女に会うであろう直前に、わたしは家に帰ろうとさえしていたのに、流れでそこにいることになったため、彼女がやってきた。

近所に住んでいても、約束をしても、どうしても会えない人がいたり、会えない時もあるのになあ。
特別なことではないのだろう。でも目の前に相手が現れるとやっぱり嬉しかったり驚いたりする。

彼女も次の用事があったので、時間になったらさっさと去っていった。
あるがまま流れるのを見る。そこには期待もなく。
人と人の関係は、本来こんなものなんじゃないかと思った。

反応表現

最近、とある同じ話を、何人もの人にひとりずつ話す機会に恵まれた。
笑う人、驚く人、共感する人、表情を変えない人、じっと聞く人、すぐに話しだす人…
わたしはその同じ話を同じ気持ちでするわけなので、それぞれの反応が、花が咲くみたいに見えて興味深かった。

人はほんとうに自由に感じて、好きなように表現しているんだ。
もちろんそこに正解不正解はなく、ありのままでパーフェクトなんだよね。

森羅万象のパズル

くり返ししつこいのですが、先日の満月以降、今までのやり方やルール、思い込みや常識、制限していたことなどがガラガラと崩れていきました。
自らが愛してていねいにはめていったパズルのピースだったので、解体されていく様子は永遠の別れのようでした。

でも今朝、そのパズルのピースひとつひとつはやっぱり”愛”なのだ、ということに気づきました。
今までとはまた違ったストーリーの絵として、新しくはじまっていくイメージで目が覚めて。

森羅万象という言葉がありますが、すでにあらゆるものは『在る』。
わたしたちもその一部なのに、それらを手にとっているつもりになっている。
自分を独立した個の存在だとなぜか勘違いしながら、都合のいいストーリーで人生をつくっている。

失うものも得るものも、ほんとうは何もない。
すべて在るのだから、なにも無い。

個人的なストーリーをパズルにたとえましたが、もっと自由に描いていけるのかもしれません。何度でも繰り返し上昇しながら。ぼんやり全体とひとつになって。そんな朝でした。