とある段階

いよいよ善と悪での判断がなくなった
自分のからだとこころがどう感じるか、しかもその理由を追う必要すらもなくなった(なぜそう感じたのか、どういう意味があるか、などと掘り下げる必要はない。癒しの終わり)
自分がどう感じるか、ということがキー(中心)になってくるならば、相手(現象)がどう感じる(動く)かということも、必然的に変わってくる
常に心地のよい感覚をこころがけ、愛による決断をしていくという選択肢しか残されていない
あるがままとはそういう状態のこと

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