とうとうベッドも撤去した。しばらくは寝袋生活。
不便だなあと感じるくらいまで物を捨て続けているのに。
捨てても捨ててもいつも捨てたいのです。
ハーブとmacとiphoneと本と洋服と化粧品など最低限あればいいなあと、まだまだ捨てたいのです。
するとふと、『物理的に見放されたように見えても、愛は消えないよ』という伝言が。
わたしの母親はわたしが小学5年生の頃、徐々に家へ帰らなくなり、ある日とつぜん結婚指輪と離婚届をリビングに置いて消えた。
学校から帰り西日に照らされたそれらを目にしたとき、非常に重要で決定的な大きな物だとわかって切なくて風呂場で泣いた。
その後は愛についてひたすら考える日々。
とうにその傷は癒えていますが、いまだにこのことを考えるのは好きです。
思考じゃないところからふと降ってきたりするのが本当の答えなんじゃないかと思います。
脈絡こそないように感じるときでも、とっても自然な答えだからです。
そうか、見放したんじゃなくて、それも愛だったんだ。
母は、わたしが生きていてさらに元気なら儲けもの、数年に1度それが確認できればよし、といった、ひとことでいうと、とってもシンプルで強い人です。
仙台に住む、ふつうのちょっと可愛い結婚3回目のおばちゃんです。
人生を共にすることがすべての愛の形ではない、という究極なまでの放任主義。
おかげさまで、だんだんと愛に感謝し愛と共に生きられる、ここ数年なのでした。